北 欧 旅 日 記 
(その6)


M I (自治会員の方です)



6月2 3日(木)
 5時3 0分チェックアウト。
 豪華なホテルでの朝食を取ることが出来ないのは残念だが、何時かまた訪れた時 にはゆっくり楽しもう。タクシーにてオスロ空港へ。体格のいい運転手さんが、大部重くなった荷物を 軽々と持って、車へ入れてくれる。早朝の空の青、藍色の海に眠気はすっかり飛んで心も晴天。 ヨットハーバーには、陽光を受けて真っ白なヨットが何百艘も整然と並んで、 恰も私達を見送るかのように何処までも眩しく続く。6時空港着。運転手さんは、荷物を車から出して、「ハヴアナイスデー」と 手を振ってくれた。
 8時1 5分発のルフトハンザ航空にてミュンヘンへ行くのだが、当航空の カウンターが開くのは7時からと表示しである。他の航空会社は何カ所か聞いて いるが、利用客はほんの数人。売店も未だ開かないので、空港の窓より吸い込まれるような空を見ながら、1週間前ホテルが取れるかと、不安な気持ちでこの空の下に着いてから、幸いにも ホテルがとれて、今日まで滞在出来た楽しい日々が走馬燈のように浮んできた。 搭乗手続きを済ませ、少し時間があるので広々とした売店を一通り見て回る。 ノルウェークローネがほんの少し残っていたので、大きな絵葉書を4、5枚買う。 定刻通りにドイツヘ向かつて出発。
機内に焼きたてのパンの香りが仄かに漂よう。朝食にほかほかのバターロールが出て、 その美味しいこと。心遣いがとても嬉しい。スチュワーデスは背が高く、オーダーを取る時は体を半分に折ってじっと顔を 見つめながら、笑顔で応じてくれる。私も自然に顔がほころぶ。 飲み物の注文が分かると「オケー」と言って、狭い通路でワゴンから手際よくカップ を出して、コーヒーをそそぎ、テープルに乗せてくれた。横顔がとても綺麗。 機内には私達だけが日本人なので、なにかと気を配ってくれたようだ。 お腹が満ち足り、今朝が早かったせいでいつの間にか、1時間位眠ってしまった。
1 0時2 4分ミュンへン空港着。
 空港の荷物一時預かり所へ大きい方を明日まで頼む。係り員が預かり書と引き替え に、空いている棚に乗せてくれた。広い所に沢山の荷物が整然と並んでいる。 中央駅へ行くのに地下鉄の切符を買ったら、女性の駅員が色の違う切符を2枚くれた。 ホームへ行くエスカレータの側に、子供でも届く高さの鉄棒の上に鉄製の小さな箱 が乗せである。ドイツ語で書いてあるので夫は「わからない」と言いながら、 エスカレーターに乗ってしまったので、私も後ろからついて行く。 どこにも改札口が無い、車内での検札もないまま1 2時05分中央駅に着く。
 下車してから人の後について行ったら、広い構内に出た。切符は出さず終い。 街を見物しながら予約のフンガーホテルへ行こうと、キオスクにてミュンへン市内 の地図を買う。外へ出ると香ばしい匂が漂う。パン屋が軒を連ねていて流石パンの国とピックリ。 ウインドーには、見たことのない形の大きいパンが見事に並んでいる。 見るだけでも楽しい。ノルウェーより少し暑く感じたが、空には雲がふわりふわりと長閑に浮いている。 大通りを夫は地図を見ながら、ホテルの看板を探して歩いている。私は、雲が消えて夏とは思えない程清々しい青空を眺めつつ、ついて行く。 暫く歩いたら、夫が「あったー」と前の方を指している。高いビルにフンガーホテル の看板が見えた。夫のお陰で迷うことなく、1 3時前にチェックインができた。こじんまりしたホテルだ。部屋に落ち着く間も無く、前もって知らせておいたミュンへンに往んで居る従姉妹に 電話を掛けたが、通じない。三年位前に帰国した時会ったままなので、 どうしても会いたくて、再度掛けたがやはり通じない。1 3時3 0分頃、部屋の電話のベルが鳴った。
 夫と顔を見合わせて、誰かしらと受話器を取ったら、懐かしい従姉妹の声。 「疲れたでしょう。1 5時頃ホテルへ会いにいくので、ゆっくり休んでてね」との 思いやりの言葉だ。あと数時間で会える嬉しさで、心を弾ませながら、暫く部屋で 寛ぐ。予定より少し前にロビーのソファーで、待っていたら、時間通り彼女が来て くれた。
大学生の娘さんがいるとは思えない若さで、目が輝いてとても元気そう。 2時間位話が出来るとのこと、「ドイツ料理は、大振りの肉を焼いて塩と胡淑を ふって食べるだけで味気無く、日本の人には合わないと思うので、スイス人の お店へ行きましょう」と言って、フロントボーイにタクシーを呼んでくれるよう 話してくれた。
ミュンヘン在住の従姉妹と ドイツへ来て2 5年とのこと、流石に流暢なドイツ語だ。当ホテルから裁判所の前を通り、数分の所に大きなスイス人の経営するレストランに 着いた。店の前の広いテラスに大きいカラフルなパラソルが何箇所も差してある。 一度テラスで食べて見たかったので、パラソルのある白いテープに着く。 彼女が写真入りのメニューを説明してくれた。アイスクリームに熱いチョコレートが かけてある珍しいのをオーダーする。真っ白い皿にバニラクームとチョコレートがこんもりと、チロルの山を思わせるように盛り付けてあり、たべるのが惜しくてしばし見ていたが、せっかくの チョコレートが冷めないうちに口にいれた。甘みは少なく熱いチョコレートとバニラの濃くを味わう。彼女のお陰で、嫌いだったアイスクリームが美味しく頂けた。
従姉妹は、
 ・長いことドイツに生活して、やっとこの国の小話が出来るようになり、 娘さんに
  誉められたこと
 ・「戦争と平和」を原書で読み終えたこと、
 ・ドイツ人は離婚が多くて今通って来た裁判所の家裁は混んでいる、
 ・財布の紐をご主人がにぎってることや、
 ・共働きでも、奥さんは家の中をとても締麗にしているのに、 ご主人は手伝わない
  ことが原因らしい、
などなどいろいろ話してくれた。
彼女の家庭は親子4人で、幸せな日々を送って居る由。
夫が「こちらの生活は日本にいるのと比べてどうですか」と聞くと、
1 0倍楽しいと言いきった。
帰国した時に会うより、ずっと若く生き生きして、ドイツ人になりきっていた。 歴史や国民性など話しは尽きない。夫は時々質問していたが、私は殆ど聞き役。 久し振りに2時間も日本語が話せてとても嬉しかったと、彼女は言う。 私達も楽しい語らいの一時だった。すっかり御馳走になってしまった。
レストランの前でタクシーを拾って、運転手にフンガーホテルまでと告げてくれた。
「私は駅がここから近いので歩いていきます」とタクシ一代を渡そうとしたので、 「大丈夫よ」と言ったら、「日本の6倍だから」と教えてくれた。
1 7時過ぎいよいよお別れ、陽射しの眩しいレストランの角でいつまでも 見送ってくれる。いろいろな心配りに感謝しつつ見えなくなるまでタクシーより 大きく手を振る。 1 8時前ホテルに着く。
 部屋で寛いで、テレビを見ていたら外のほうで賑かな話し声がする。 夫が窓から見て、「楽しそうだよ」と手招きをする。中庭の白いテープルに大勢の客が、食事をしているのが見えた。 素敵な曲も流れていて、夫は「丁度2人掛けの席が一つ空いているから、 食事にいこう」と言う。テレビを消してすぐ部屋を出て、エレベーターで降りたのに、もう席は塞がっていた。 流れていた曲はバイオリンとクロッケン(鉄琴)の生演奏で、奏者は2人。 その前の4人掛けのテーブルに座る。演奏しながら私たちを見てにこにこしている。 まず本場のビールで乾杯。黒パン4切れにバターとジャムが、ビールと共に運ばれた。 空きっ腹で飲まないようにとのことかしら…。
 メニューを見てもわかわからないが、取り敢えずサーモン料理を2品たのむ。 1品は大皿に盛り、もう1品は、ボーイがグリルごとワゴンに乗せて運んできた。 大きな蓋を取ってあつあつを1切れづつ皿に盛ってくれる。 食べ終わるとまた乗せて、付きっきりでサービスしてくれる。 どれも私達好みのいい味。よく飲みよく食べていたら、「さくらさくら」の曲が 流れてきた。奏者に杯をあげて会釈をしたら、にこにこしながら、続けて「荒城の月」 を奏でてくれた。

  −− 満月の青く輝くミュンヘンに旅のフィナーレは「荒城の月」 −−

「サンキュー」と声をかけたら、「ニホンダイスキ」と言って「すきやきソング」を 贈ってくれたので、私は「うえをむういてあ-るこお
おお」と思わず歌ってしまった。奏者はホテルと契約をして、プタベストから来たとのこと。 当ホテルはハンガリ一人の経営らしい。「フンガー」とは「ハンガリー」 という意味のようだと夫は言う。
料理も、従姉妹の言ってたドイツ料理とは違って手が込んでいた。 曲が終ったので、お礼の意味を込めた拍手をしたら、何か言いたげにこちらを 見ている。夫が察して、「ハンガリー舞曲」をリクエストしたら、とても喜んで 演奏してくれた。曲にもビールにも酔い、思いがけないディナーを楽しめた。 愛器にカバーをかけ、一休みの時私たちのテーブルへ来て、ミュウジシャンかと 英語で聞くので、夫が「違うけどミュウジックは大好き」と言ったら、 カセットを出して「ハンガリーの名曲が入っているから」いかがかと言う。 ホテルのネーム入りだ。記念にと思い、1 5 D M (約¥9 0 0)で買う。 (帰国して早速聞いたら、テンポが合わずまるでだめ。息子に聞いたら 「サイクルが違うからだよ」と笑われた)
「ドウモアリガトウ」と微笑んで、「良い旅を」と言ってくれた。 旅の最後のディナーに、良いひとときをありがとう。
2 2時過ぎ部屋に戻る。まだ賑やかな外を見たら、漸く日が暮れて、中庭の木々に、 豆電球が点滅し、池にきらきら映っている。客は後を断たない。 快い疲れを覚えて、2 3時就寝。
午前2時頃、夫に起こされた。窓辺で上を見ながら、「大きな月だよ」と言う。 満月(旧5月1 5日)が秋のように澄み渡る中天に、それは美事に輝いている。 月が大好きな私に、旅の最後にドイツの空からの思わぬ贈物に感動。 起こしてくれた夫のお陰で。心行くまで月を仰いだ。



6月2 4日(金)
 8時3 0分頃、眩しい陽射しに目が覚めた。
バイキングの朝食にもすっかり慣れて、何度も皿を替えては、生ハムやチーズの いろんな種類を少しづつ味わう。茄でたての卵に3、5と書いであるのは、どこのホテルも同じだが、ナフキンで 包んで籠にいれであるのは、当ホテルだけ。心遣いが嬉しく、ナフキンをそっと開け、2個をエッグスタンドに乗せてテープルへ、 すぐスプーンであつあつを頂く。ホテルでの最後の食事をゆっくり済ませて9時3 0分頃チェックアウト。 ミュンヘン発1 4時0 5分成田行きに乗る予定。
夫は北欧がジグソーパズルの本場と思い、随分探したがあまり無いので、店員に 聞いたらドイツが本場と言う。ミュンへンに行ったら買おうと思ったので、時間があるし、先ずデパートに寄って ジグソーパズル売り場へ直行。沢山の種類はあったが、気に入ったミュンヘン旧市街絵柄がなくてとうとう諦める。
街を見物しがてら、旧市街へ。
 中世の人形の彫刻が嵌め込まれた古い立派な建造物が並ぶ。その色調がとても 素晴らしい。陽射しに輝いて、昔の建物とは思えない美しさにうっとり。1 0時を回ったウイークデーだが、よく晴れた歩行者天国は人出で賑わっている。 リックを背負って歩いているのは私達だけで、1 8度前後の中を爽やかな風に 軽やかな服装と足取りで楽しそうな顔、顔、顔。老いも若きも、カフェテラスでビールのジョッキーを傾けている光景は、 流石ビールの国。アルコール度はライトなのか、酔ってるふうもない。1 1時頃歩き疲れたので、喉も乾いたしカフェテラスにて、昨日従姉妹に御馳走 になって味を占めたアイスクリームをと、写真入りのメニユーを見て指で 「これを」とオーダーしたら、種の取ってあるさくらんぼがたっぷり入った 大きな器が運ばれた。「こんなに食べられるかしら」と夫と話しながらー匙口に 入れたら、ヨーグルトが程よくさくらんぼとクリームに合ってベリーグッド。 2人とも全部食べてしまった。
 1 1時3 0分も回ったのでそろそろ空港に行こうと、地下鉄の駅の方へユーターン。 駅でキップ売り場を探したが、どこにも無い。近くにいた女性に、昨日の切符を見せて「使えますか」と夫が英語で尋ねたら、徐ろにバッグから眼鏡を出して 切符を見ながらゆっくりした英語で教えてくれて、「バイバイ」と手を振って 急いで駅を出て行った。通勤途中だったらしいのに、手間を取らせてしまったようだ。 私は何て言ったのか夫に聞いたら「この切符は昨日のだけど切って無いから使えるわ。 あなた方はラッキ-ね」とのこと。
 昨日地下鉄に乗る時に、エスカレーターの前にあった箱は、自動改札機だった のかと今になって分かった。1 2時過ぎミュンヘン空港行きの電車に乗る。地上に出た列車は、広告や電柱の無い平野を走る。麦やジャガ芋の畑が延々と続き、柔らかな緑が目に優しく広がる風景を、楽しんで いるうちに3 0分位で到着。昨日預けた荷物を受取る。時間があるので、荷物をワゴンに乗せて、売店を見て いたら、アルプスの少女ハイジとベーターのように可愛い人形を織りこんだ、 イタリ-製のテープルクロスが目についた。配色がソフトなのを3枚買う。
 出発3 0分前になり、成田行きのロビーへ行ったら、何組みもの日本人ツアーで 椅子は満杯。日本語が渦巻いている。遠ざかっていた自国の言葉に、ほっとするやら、鬱陶しいやら何とも複雑な感じ。 搭乗の時もツアーの人たちにあれよあれよと先を越されて、一番最後。 窓際の席はうまってしまったが、中列の4入掛けに夫と私はゆったり座る。1 4時2 5分ルフトハンザ航空で、2 0分遅れて出発。長い滑走路を飛立ち上空に落ち着いた頃、機内食のメニューのプリントが配られた。 ドイツ語、英語、日本語で書いであるので、私はなににしようかと目をとおしたが、 夫はさっと見て座席の前のポケットへ。スチュワーデスが3カ国の食事をワゴンに用意してきて、「ウエスタン? ジャパン?」 と聞くので、夫はウエスタンを私はジャパンを頼む。夫はサフラン色のピラフを食べて「タイ米みたい、味もしつこい」とのこと。 「メニューを見なかったからよ」と言いながら、私は日本米とすき焼きに満足。 メーン以外は3カ国とも同じ、デザートまで沢山の種類がうまくトレーに収まっている。すっかり満腹になる。イヤホンで音楽を聞いていたら眠気が押し寄せてきた。「面白い映画をやってるよ。日本語吹き替えにダイヤルを合わせてごらん」と 夫の声に目が覚める。封切りを2本見る。
 殆どの人は寝ているが、本を読んでる人、映画を見ている人とさまざまに過ごす。 スチュワーデスは夜を徹して、飲み物や軽食のサービスをしてくれる。 喉が乾いたので、水かと思い透明の小さなグラスを貰って、ぐいっと一口飲んだら、 なんとジンだった。口の中が燃えてるよう、慌てて洗面所で水をがぶがぷ。 眠気がすっかりとんでしまう。道理でジュースより小さいグラスだった。 一睡もしないうちに、朝食が運ばれた。お腹のほうはまだ眠っているが、 時間をかけて食べてるうちにデザートのコーヒーまで頂いてしまった。 TVは日本上空を映し、成田空港の方へ矢印がぐんぐん伸びている。 間もなく着陸を告げるアナウンスがあった。



6月2 5日(土)
 8時1 5分成田空港着。
外へ出たら、梅雨の真っ只中。9時0 5分成田発の京成線にて、帰路につく。 夢のような1 7日間を思い起こしつつ、雨にけぶる車窓をながめる。
1 2時頃帰宅。
 半月以上も留守にして、何かと不自由を感じたであろう父と息子は、 文句一つ言わずに、無事の帰宅を心より喜んでくれた。 リフレッシュな旅に3Kgも体重が増えて帰ってきたことは、家族の思いやりが あったからこそと、心より感謝。
 結婚3 0周年目の贈物を本当に有り難う。






  −− ふと浮かぶフィヨルドの藍と空の青日日の雑事に戻りてもなお −−

  −− ダーラナの草木染なる毛糸繰れば香に遥かなる山河想えり −−

  −− クリスマスソングに浮かぶは遥か北欧の煉瓦造りの広き煙突 −−

  −− 白夜の国を夫と旅せる思い出は珠玉の如き月日を経ても −−

     1994年12月






あとがき

 旅行中の手帳に書いたメモをもとに、思い出しながら妻は旅行記を書き出した。 どうせ書くならと、ワープロの操作方法も習い作り始めたが、家事の合間に毎回 数行づつしか書けないため、完成まで2年もかかってしまった。旅行のおまけとして、ワープロを覚え、英会話にも関心を持つようになった。
 この旅行ではのんびりと北欧の景色を眺め、ついでに日常生活から解放されて、 リフレッシュもしたいと思った。
先入観を持たないようにして旅立ったせいか、大変素晴らしい旅行となった。 風景と建物とが、色合いも含めて調和が取れていたことに感銘した。 電信柱の類いもほとんど見なかった。また、広告の看板なども少なく、都会でも けばけばしさを、感じなかった。なぜ、このように落ち着いた、たたずまいなの だろうか。旅行中はいつも考えさせられた。
 冬が長く夏が短いという気候風土から受ける感覚なのだろうか。 建物の高さといい、色といい、どことなく落ち着きがあり、まわりの風物と良く 溶け込んでいて、日本とは全く違う感じだ。
 また、ある程度は自分の責任で行動するという習慣があるように感じた。 長距離列車でもバスでも、発車のベルもアナウンスも全くなしで、定刻になると 発車した。
日本のやり方になれた自分には、驚きと同時にこの静かさも大変良い印象であった。 サービス過剰は他人に頼り過ぎる、という悪い側面も生みだすのだろう。
 行く先々で年配の人から若い人まで、いろいろな人からの親切に助けられ、 東京の喧騒の中で暮らしている自分には、得難い貴重な出会いであった。 焦らずに、ゆとりのある日程で旅し、出来るだけ都会を避けて地方めぐりをしたのと、 たった二人の旅のせいなのであろうか、人と人との触れ合いは、それぞれが 貴重な経験であった。
写真をとってくれた高校生らしい若い人が、別れぎわに「Have a nice trip」と言ってくれた一言は忘れ難い思い出である。自分があの年代の時には決して 言えなかった。
 我々は経済成長ばかりに気をとられて、心・ハートをどこかに置き忘れたことを、 教えられた旅行でもあった。
   また、いつの日か再び訪ねたいものだ。2. 3カ月の長期滞在も経験したい。
   他の国へも旅行してみたい。夢はふくらむ一方である。
これからの人生を充実させて過ごしたいと願う。
                                 夫




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