朝刊を取りにポストに近づくとこれまでに出会ったことのない風景が一週間余も続いた。喉は黒くて頬は白く, 背と肩羽は緑黄色に見えるからおそらくつがいのシジュウカラであろう。せわしく動きまわるので雄雌はわからない。
  えさをくわえた一羽は電線に、もう一羽は少し離れたびわの木から、しきりに「ツツビツツビ」とけたましく鳴きたてている。雛たちのいる巣に入ろうとしていたところを私に気づいて警戒をているらしい。えさをくわえた一羽は不満そうに電線上を横滑りし始めた。私は可哀想になって身をかがめて見た。すると、フエンス沿いの植え込みまで急降下して止まり、すばやい速さで巣穴に吸い込まれるように入ったのである。
ふたたび巣をはなれるまでそう長くはなかった。数羽の雛に等しくえさを与えたであろうか、もしそうでなかったら、えさをもらえなかった雛にはどんな我慢の教えをしたのだろうかとふとたわいもない思いが走った。その後はひとしきり雛の鳴き声が続いたからである。
 しかし、どうしてこんなところに巣をつくったのだろう。巣はなんと我が家の湯沸機の換気筒出口付近の溝である。わずか三センチ余の溝穴から入り込んで巣をつくっているのである。ここは排気の余熱で快適な空間であったようだ。そこをえらんで巣作りしたらしいのに拍手してあげたい衝動にかられた。私が巣穴をのぞこうとそっと近づくと、つがいはけたましく鳴き始めた。かわいそうだが確かめたかった。何匹の雛がかえっているのだろか。巣穴は暗くて雛の大きく開いた黄色いくちばししか見えない。懐中電灯でもと考えたが雛たちが目を傷めてはと思い、止めた。
 それでも私は、日中幾度か雛たちの様子をそっと見にいく日が続いた。それはやがて、そう遠くない内にここを巣立っていくのを気にしていたせいかも知れない。いましばらくはつがいの子育ての風景を味わいたい。終日つがいは裏山からクモ、昆虫などのえさをせっせと運んでくる。それも朝早くからの一生懸命さが可愛いくてたまらない。
 そんな数日がたってつがいの鳴き声が聞かれなくなった。巣穴を覗くと案の定、雛の姿はなかった。近くの電線を、びわの木のあたりを、裏山のあたりに急いで目をやった。新緑の木の葉がかすかにゆれるとなんともいえぬ微風がわたしを通りぬけていく思いにかられた。もっといて欲しかった。雛が飛び立つところを見たかった。飛び立つ練習もしないでどのように巣穴を飛び立てたのだろうか。一羽がそっと頸をだし、つがいの指示を受けながら、急に開けた視界に驚きつつも渾身の力で羽をばたつかせて裏山へと飛んでいったに違いない。
 渡り鳥だとすると雛たちは近くにいる仲間とともに、群れをなしてひそかに渡りの準備をしているかも知れない。
 巣の入口に塗料でもつけていて、雛たちの風雨に耐えて行くさまを追いかけていけたら、私とシジュウカラとの出会いは、薄れ掛けてきた日々の流れに幾何かの勢いをつけてくれたと思わずにはいられない。
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